永井 路子
本 名 永井擴子【旧姓】(ながい・ひろこ)→黒板擴子(くろいた・ひろこ)
生年月日 1925年(大正14年)3月31日
没年月日 2023年(令和5年)1月27日
別名義 黒板擴子(くろいた・ひろこ)【時代・歴史小説家】
永井路子(ながい・みちこ)【時代・歴史小説家】ペンネーム
親 族 永井智子(ながい・ともこ)【母】アルト歌手
黒板伸夫(くろいた・のぶお)【夫】歴史学者
来 歴
1925年 東京市本郷区にて生まれる。
1941年 茨城県立古賀高等女学校(現・古河第二高校)卒業。
1944年 東京女子大学国語専攻部卒業。
1949年 歴史学者の黒板伸夫と結婚。
茨城・古河から東京・中野へ転居し、小学館へ入社。
松本清張などの担当編集をしながら、歴史小説を書き始める。
1951年 「サンデー毎日」創刊三十年祈念懸賞小説で
『三条院記』(黒板擴子名義)が入選。
【歴史作家としてデビュー】
1958年 ペンネーム「永井路子」を使用しはじめる。
1961年 雑誌「マドモワゼル」の副編集長を最後に、小学館を退社。
専業作家となる。
1962年 鎌倉市鎌倉山に転居。(~2000年)
1964年 『炎環』で第52回直木賞を受賞。
1979年 『北条政子』『炎環』『つわものの賦』を原作に
大河ドラマ『草燃える』が放映される。
1982年 『氷輪』で第21回女流文学賞を受賞。
1984年 第33回神奈川文化賞文学部門を受賞。
1988年 『雲と風と』で第22回吉川英治文学賞を受賞。
1955年 戦後50年を期して、歴史小説断筆宣言をする。
1997年 『山霧 毛利元就の妻』を原作に
大河ドラマ『毛利元就』が放映される。
1998年 鎌倉市名誉市民となる。
2000年 東京都品川区に転居。
2023年 老衰のため没。
 鎌倉が舞台となる著作
1964年
炎環
【第52回直木賞受賞作】
1978年
執念の家譜
1978年
裾野
1978年
右京局小夜がたり
1978年
土佐房昌俊
1978年
寂光院残照
1978年
ばくちしてこそ歩くなれ
1978年
頼朝の死
2021年
北条政子
2021年
覇樹