泉  鏡花
本 名 泉鏡太郎(いずみ・きょうたろう)
生年月日 1873年(明治6年)11月4日
没年月日 1939年(昭和14年)9月7日
別名義 泉鏡太郎(いずみ・きょうたろう)【小説家】本名
泉 鏡花(いずみ・きょうか)【小説家】ペンネーム
畠芋之助(はたけ・いものすけ)【小説家】ペンネーム
来 歴
1873年 石川県金沢市下新町にて生まれる。
1885年 北陸英和学校に入学、2年後に退学。
1891年 7~8月、鎌倉・妙長寺に滞在。後にここでの体験を題材にした『みだれ橋』(後に『星あかり』と改題)を執筆する。
9月、尾崎紅葉の門下に入り、尾崎家の書生となる。その際紅葉から「泉鏡花」の名を与えられる。
1893年 「京都日出新聞」に『冠弥左衛門』(畠芋之助名義)を連載。
【小説家としてデビュー】
『活人形』(探偵文庫)、『金時計』(少年文学)を刊行。
1894年 父が亡くなり、金沢市へ帰る。
1895年 文学誌「青年文学」に『夜行巡査』を発表。
1898年 『星あかり』を発表。
1899年 「硯友社」の新年宴会で芸妓・伊藤すずと出会う。
1900年 『高野聖』を刊行。
1902年 胃腸病を患い逗子田越村で静養。すずが手伝いに来る。
1903年 牛込神楽坂に転居。すずとの同棲生活が始まる。
師・尾崎紅葉が亡くなる。
1905年 静養のため再び逗子田越村に転居。(~1909年)
1907年 「やまと新聞」に『婦系図』を連載。
1913年 演芸誌「演芸倶楽部」に戯曲『夜叉ヶ池』を発表。
1925年 伊藤すずと結婚。
1937年 「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に『薄紅梅』を発表。
1939年 東京市麹町区の自宅にてガン性肺腫瘍のため没。
 鎌倉が舞台となる著作
1893年
活人形
1893年
金時計
1898年
星あかり
1908年
草迷宮
1916年
白金之絵図
1918年
大阪まで
1922年
続銀鼎
1923年
露宿
1924年
雨ふり
1942年
逗子より
 鎌倉が舞台となる映画
1981/08/21 陽炎座 日本
ヘラルド
原作『陽炎座』
松田優作・大楠道代・加賀まりこ・楠田枝里子