宮内 寒彌
本 名 池上子郎(いけがみ・しろう)
生年月日 1912年(明治45年)2月29日
没年月日 1983年(昭和58年)3月5日
別名義 宮内寒彌(みやうち・かんや)【小説家】ペンネーム
来 歴
1912年 岡山県御津郡牧石村にて池上家長男として生まれる。
元逗子開成中学の社会科教師だった父・己三郎は七里ガ浜ボート遭難事故の責任をとり退職後、岡山で池上家の婿養子となった。
1932年 早稲田大学文学部文学科英文学専攻に入学。
1933年 大内義一・橋本文夫らと文芸誌「早稲田文科」を発刊。
10月、「早稲田文科」創刊号に『初愁』を掲載。
【小説家としてデビュー】
1935年 早稲田大学文学部卒業。
出版社「健文社」に入社するも12月で退職。
1936年 『中央高地』が第2回芥川賞候補となる。
1939年 吉田芳子と結婚。
1941年 文芸誌「現代文学」の同人となる。
1942年 藤沢市鵠沼に転居。
1956年 父・己三郎が死去。
1965年 鎌倉市腰越に転居。(~1977年)
1978年 『七里ヶ浜』で第6回平林たい子賞を受賞。
1983年 中郡大磯町の病院にて急性心不全のため没。
 鎌倉が舞台となる著作
1943年
横須賀線
1943年
鎌倉の梅
1954年
刀と錆
1977年
七里ヶ浜
【第6回平林たい子賞受賞作】
1978年
七里ヶ浜昔今