1903年 |
青森市にて生まれる。10人兄弟の6番目。 |
1917年 |
青森県立青森高等女学校に入学。 |
1920年 |
「主婦の友」「婦人倶楽部」に投稿、入選を果たす。 |
1922年 |
青森高等女学校を卒業。
上京し実践女学校高等女学部国文専攻科に入学。 |
1924年 |
脊椎カリエスを発症を理由に中退、青森へ帰郷。
県内の尋常小学校の代用教員となる。 |
1926年 |
カリエス再発で教員を退職。療養生活に入る。 |
1928年 |
「改造社」創業十周年記念の懸賞創作に応募。
下読みを任されていた深田久彌と応募作を通じ恋におちる。 |
1929年 |
千葉・我孫子や東京市本所区で深田と同棲。
八穂の両親の反対により入籍は出来ず。 |
1932年 |
八穂の健康上の理由で鎌倉・二階堂歌の橋に転居。 |
1938年 |
カリエスが悪化し横臥生活に入る。
この頃八穂は標準語で文章を書くことが困難であり、また身体上の理由で深田に負い目があったため、彼を陰から支える役割を果たした。自らが描いた作品を彼に提供し手を加え、深田名義で発表していた。 |
1940年 |
深田久彌と入籍。 |
1943年 |
深田の隠し子が発覚。夫婦生活が泥沼状態になる。 |
1946年 |
少年少女文芸誌「銀河」に『十二才の半年』を掲載。
【児童文学作家としてデビュー】 |
1947年 |
深田と離婚。その際、代作の件も公表。これ以降は「北畠八穂」名義で作品を発表する。 |
1948年 |
鎌倉山に転居。その際、内弟子の白柳義彦と同棲、内縁の妻となる。 |
1972年 |
『鬼を飼うゴロ』で第10回野間児童文芸賞、第19回産経児童出版文化賞を受賞。 |
1975年 |
作家との回想録『透きとおった人々』を刊行。 |
1982年 |
川崎市の病院にて閉塞性黄疸症のため没。 |