北畠 八穂
本 名 北畠美代(きたばたけ・みよ)【0歳~38歳】
→深田美代(ふかだ・みよ)【38歳~45歳】
→北畠美代(きたばたけ・みよ)【45歳~】
生年月日 1903年(明治36年)10月5日
没年月日 1982年(昭和57年)3月18日
別名義 北畠八穂(きたばたけ・みお)【小説家・児童文学者】ペンネーム
親 族 深田久彌(ふかだ・きゅうや)【夫】小説家・随筆家
白柳美彦(しろやなぎ・よしひこ)【内縁の夫・内弟子】児童文学者
来 歴
1903年 青森市にて生まれる。10人兄弟の6番目。
1917年 青森県立青森高等女学校に入学。
1920年 「主婦の友」「婦人倶楽部」に投稿、入選を果たす。
1922年 青森高等女学校を卒業。
上京し実践女学校高等女学部国文専攻科に入学。
1924年 脊椎カリエスを発症を理由に中退、青森へ帰郷。
県内の尋常小学校の代用教員となる。
1926年 カリエス再発で教員を退職。療養生活に入る。
1928年 「改造社」創業十周年記念の懸賞創作に応募。
下読みを任されていた深田久彌と応募作を通じ恋におちる。
1929年 千葉・我孫子や東京市本所区で深田と同棲。
八穂の両親の反対により入籍は出来ず。
1932年 八穂の健康上の理由で鎌倉・二階堂歌の橋に転居。
1938年 カリエスが悪化し横臥生活に入る。
この頃八穂は標準語で文章を書くことが困難であり、また身体上の理由で深田に負い目があったため、彼を陰から支える役割を果たした。自らが描いた作品を彼に提供し手を加え、深田名義で発表していた。
1940年 深田久彌と入籍。
1943年 深田の隠し子が発覚。夫婦生活が泥沼状態になる。
1946年 少年少女文芸誌「銀河」に『十二才の半年』を掲載。
【児童文学作家としてデビュー】
1947年 深田と離婚。その際、代作の件も公表。これ以降は「北畠八穂」名義で作品を発表する。
1948年 鎌倉山に転居。その際、内弟子の白柳義彦と同棲、内縁の妻となる。
1972年 『鬼を飼うゴロ』で第10回野間児童文芸賞、第19回産経児童出版文化賞を受賞。
1975年 作家との回想録『透きとおった人々』を刊行。
1982年 川崎市の病院にて閉塞性黄疸症のため没。
 鎌倉が舞台となる著作
1975年
透きとおった人々