1889年 |
東京市赤坂区青山南町(現・東京都港区)にある大貫家別邸にて大貫家の長女として生まれる。実家の大貫家は神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区)の大地主。 |
1904年 |
東京・小石川の跡見女学校に入学。 |
1905年 |
文芸誌「女子文壇」「読売新聞文芸欄」に大貫野薔薇名義で短歌を投稿。 |
1906年 |
与謝野晶子と出会う。
7月、文学誌「明星」に大貫可能子名義で短歌を投稿。 |
1908年 |
父と共に信州沓掛(現・軽井沢町中軽井沢)に避暑し、旧制東京芸術学校(現・東京藝術大学)の学生を通じて岡本一平と出会う。 |
1910年 |
一平と結婚。京橋の岡本家に同居するも家人と折り合いが悪く、夫婦で家を出る。 |
1911年 |
長男・太郎を出産。 |
1912年 |
一平が朝日新聞の社員となるが放蕩生活を始め、夫婦の生活は危機に陥る。
朝日新聞より歌集『かろきねたみ』を刊行。 |
1913年 |
一平の放蕩生活が続く中、実家の大貫家も破産し精神不安定になる。 |
1914年 |
有れた生活を続ける夫を愛することができず、早稲田大学の学生・堀切重夫と恋におちる。しかし重夫はカノの妹・キンと恋愛関係となりカノは彼と別れる。 |
1921年 |
鎌倉・建長寺の原田祖岳に参禅。川端康成・宮本百合子と出会う。 |
1922年 |
医師・新田亀三と恋愛関係になる。 |
1923年 |
鎌倉雪ノ下にある「平野屋旅館」に長期滞在。芥川龍之介と出会う。 |
1929年 |
『わが最終歌集』を刊行し短歌から離れ、小説家を志す。 |
1932年 |
仏教を語ることを求め仏教研究家として『観音教を語る』『仏教読本』を刊行。 |
1936年 |
『鶴は病みき』で第6回文芸界賞を受賞。 |
1938年 |
三浦郡三浦町油壷(現・三浦市油壷)にある宿で能充血で倒れる。 |
1939年 |
入院中の文京区本郷の病院にて没。 |