岡本かの子
本 名 大貫カノ(おおぬき・かの)【0歳~21歳】
→岡本カノ(おかもと・かの)【22歳~】
生年月日 1889年(明治22年)3月1日
没年月日 1939年(昭和14年)2月18日
別名義 岡本かの子(おかもと・かのこ)【小説家】ペンネーム・本名
大貫野薔薇(おおぬき・のばら)【歌人】雅号
大貫可能子(おおぬき・かのこ)【歌人】ペンネーム
親 族 岡本一平(おかもと・いっぺい)【夫】漫画家
岡本太郎(おかもと・たろう)【長男】芸術家
来 歴
1889年 東京市赤坂区青山南町(現・東京都港区)にある大貫家別邸にて大貫家の長女として生まれる。実家の大貫家は神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区)の大地主。
1904年 東京・小石川の跡見女学校に入学。
1905年 文芸誌「女子文壇」「読売新聞文芸欄」に大貫野薔薇名義で短歌を投稿。
1906年 与謝野晶子と出会う。
7月、文学誌「明星」に大貫可能子名義で短歌を投稿。
1908年 父と共に信州沓掛(現・軽井沢町中軽井沢)に避暑し、旧制東京芸術学校(現・東京藝術大学)の学生を通じて岡本一平と出会う。
1910年 一平と結婚。京橋の岡本家に同居するも家人と折り合いが悪く、夫婦で家を出る。
1911年 長男・太郎を出産。
1912年 一平が朝日新聞の社員となるが放蕩生活を始め、夫婦の生活は危機に陥る。
朝日新聞より歌集『かろきねたみ』を刊行。
1913年 一平の放蕩生活が続く中、実家の大貫家も破産し精神不安定になる。
1914年 有れた生活を続ける夫を愛することができず、早稲田大学の学生・堀切重夫と恋におちる。しかし重夫はカノの妹・キンと恋愛関係となりカノは彼と別れる。
1921年 鎌倉・建長寺の原田祖岳に参禅。川端康成・宮本百合子と出会う。
1922年 医師・新田亀三と恋愛関係になる。
1923年 鎌倉雪ノ下にある「平野屋旅館」に長期滞在。芥川龍之介と出会う。
1929年 『わが最終歌集』を刊行し短歌から離れ、小説家を志す。
1932年 仏教を語ることを求め仏教研究家として『観音教を語る』『仏教読本』を刊行。
1936年 『鶴は病みき』で第6回文芸界賞を受賞。
1938年 三浦郡三浦町油壷(現・三浦市油壷)にある宿で能充血で倒れる。
1939年 入院中の文京区本郷の病院にて没。
 鎌倉が舞台となる著作
1936年
鶴は病みき