井上ひさし
本 名 井上 廈(いのうえ・ひさし)【0歳~27歳】
→内山 廈(うちやま・ひさし)【27歳~52歳】
→井上 廈(いのうえ・ひさし)【52歳~】
生年月日 1934年(昭和9年)11月16日
没年月日 2010年(平成22年)4月9日
親 族 西舘好子(にしだて・よしこ)【前妻】小説家・評論家
井上 都(いのうえ・みやこ)【長女】元「こまつ座」主宰・文筆家
井上 綾(いのうえ・あや)【次女】編集者
井上麻矢(いのうえ・まや)【三女】「こまつ座」主宰・文筆家
米原万里(よねはら・まり)【義姉・後妻の姉】小説家・エッセイスト
来 歴
1934年 山形県東置賜郡小松町(現・川西町)にて生まれる。
1939年 父・井上修吉が脊髄カリエスで死亡。
母は廈を育てられずカトリック修道院の孤児院へ預ける。
1950年 仙台第一高校へ孤児院から入学。新聞部に入部。
1953年 神父の紹介により上智大学文学部ドイツ文学科に入学。
在学中、浅草のストリップ劇場「フランス座」で台本を描き始める。
1960年 留年を繰り返しながらも上智大学卒業。放送作家として活動。
1961年 内山好子と結婚。婿養子となり内山姓を名乗る。
1964年 『ひょっこりひょうたん島』がNHK人形劇で約5年間放映。
国民的人気番組となる。
1969年 熊倉一雄主宰の劇団「テアトル・エコー」の劇作家となる。
1970年 『ネコジャラ市の11人』がNHK人形劇で約3年間放映。
1972年 『手鎖心中』で第67回直木賞を受賞。
『道元の冒険』で第17回岸田國士戯曲賞、芸術選奨新人賞を受賞。
1974年 「週刊文春」で『熱風至る』を連載。
1979年 『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』で第31回読売文学賞戯曲賞を受賞。
1981年 『吉里吉里人』で第33回読売文学賞小説賞、第2回日本SF大賞を受賞。
1982年 『吉里吉里人』で第13回星雲賞日本長編作品部門を受賞。
1983年 1月、劇団「こまつ座」を立ち上げ。
1984年 4月5日、『頭痛肩こり樋口一葉』で「こまつ座」初公演。
1985年 睡眠薬を服用し首つり自殺を図るも未遂に終わる。
1986年 妻・好子と離婚。
『腹鼓記』『不忠臣蔵』で第20回
1987年 米原ユリと再婚。
1989年 鎌倉市佐助に転居。(~2010年)
1991年 『シャンハイムーン』で第27回谷崎潤一郎賞を受賞。
1999年 『東京セブンローズ』で第47回菊池寛賞を受賞。
山形県東置賜郡川西町名誉市民に選出。
2001年 これまでの創作活動に対して第71回朝日賞を受賞。
2003年 『太鼓たたいて笛吹いて』で第44回毎日芸術賞、第6回鶴屋南北戯曲賞を受賞。
2004年 文化功労者に選出。
非戦運動団体「九条の会」の呼びかけ人9人のうちのひとりとなる。
2009年 第65回日本芸術院賞を受賞。
2010年 第17回読売演劇大賞芸術栄誉賞を受賞。
山形県民栄誉賞を受賞。
鎌倉市の自宅にて肺ガンのため没。
墓 所 浄光明寺
 鎌倉が舞台となる著作
2011年
東慶寺花だより
 鎌倉が舞台となる映画
2015/05/16 駆込み女と駆出し男 松竹 原作『東慶寺花だより』
大泉 洋・戸田恵梨香・満島ひかり・陽月 華