1934年 |
山形県東置賜郡小松町(現・川西町)にて生まれる。 |
1939年 |
父・井上修吉が脊髄カリエスで死亡。
母は廈を育てられずカトリック修道院の孤児院へ預ける。 |
1950年 |
仙台第一高校へ孤児院から入学。新聞部に入部。 |
1953年 |
神父の紹介により上智大学文学部ドイツ文学科に入学。
在学中、浅草のストリップ劇場「フランス座」で台本を描き始める。 |
1960年 |
留年を繰り返しながらも上智大学卒業。放送作家として活動。 |
1961年 |
内山好子と結婚。婿養子となり内山姓を名乗る。 |
1964年 |
『ひょっこりひょうたん島』がNHK人形劇で約5年間放映。
国民的人気番組となる。 |
1969年 |
熊倉一雄主宰の劇団「テアトル・エコー」の劇作家となる。 |
1970年 |
『ネコジャラ市の11人』がNHK人形劇で約3年間放映。 |
1972年 |
『手鎖心中』で第67回直木賞を受賞。
『道元の冒険』で第17回岸田國士戯曲賞、芸術選奨新人賞を受賞。 |
1974年 |
「週刊文春」で『熱風至る』を連載。 |
1979年 |
『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』で第31回読売文学賞戯曲賞を受賞。 |
1981年 |
『吉里吉里人』で第33回読売文学賞小説賞、第2回日本SF大賞を受賞。 |
1982年 |
『吉里吉里人』で第13回星雲賞日本長編作品部門を受賞。 |
1983年 |
1月、劇団「こまつ座」を立ち上げ。 |
1984年 |
4月5日、『頭痛肩こり樋口一葉』で「こまつ座」初公演。 |
1985年 |
睡眠薬を服用し首つり自殺を図るも未遂に終わる。 |
1986年 |
妻・好子と離婚。
『腹鼓記』『不忠臣蔵』で第20回 |
1987年 |
米原ユリと再婚。 |
1989年 |
鎌倉市佐助に転居。(~2010年) |
1991年 |
『シャンハイムーン』で第27回谷崎潤一郎賞を受賞。 |
1999年 |
『東京セブンローズ』で第47回菊池寛賞を受賞。
山形県東置賜郡川西町名誉市民に選出。 |
2001年 |
これまでの創作活動に対して第71回朝日賞を受賞。 |
2003年 |
『太鼓たたいて笛吹いて』で第44回毎日芸術賞、第6回鶴屋南北戯曲賞を受賞。 |
2004年 |
文化功労者に選出。
非戦運動団体「九条の会」の呼びかけ人9人のうちのひとりとなる。 |
2009年 |
第65回日本芸術院賞を受賞。 |
2010年 |
第17回読売演劇大賞芸術栄誉賞を受賞。
山形県民栄誉賞を受賞。
鎌倉市の自宅にて肺ガンのため没。 |