島崎 藤村
本 名 島崎春樹(しまざき・はるき)
生年月日 1872年(明治5年)3月25日
没年月日 1943年(昭和18年)8月22日
別名義 島崎藤村(しまざき・とうそん)【小説家・詩人】ペンネーム
来 歴
1872年 筑摩県第八区五小区馬籠村にて生まれる。
※筑摩県は長野県中信地方及び岐阜県飛騨地方・中津川市
1891年 明治学院書道部本科卒業。
1892年 明治女学校高等科の英語教師となる。
鎌倉・扇谷正宗跡に仮寓し、戸川秋骨らとひと夏を過ごす。
1893年 1月、星野天知が主幹となる文芸誌「文学界」を創刊。同人として参加する。
女学校の教え子・佐藤輔子を愛し、教師として自責のため辞職。その後輔子は自ら命を絶つ。
8月、円覚寺塔頭帰源院に籠る。
1894年 文学の友人・北村透谷が自殺。
1896年 仙台・東北学院の英語教師に就任。
処女詩集『若菜集』を発表。
【作家としてデビュー】
1898年 信州・小諸義塾の英語教師に就任。(~1905年)
秦冬子と結婚。
1906年 『破戒』を自費出版。
1908年 「東京朝日新聞」に『春』を連載。
1910年 妻・冬子死亡。
1911年 実業家・神津猛と共に鎌倉・円覚寺を訪れ、釈宗演を訪ねる。
1913年 姪・こま子を孕ませ、フランスへ逃亡。
1916年 帰国するもこま子との仲が再燃する。
1917年 慶應義塾大学文学部講師に就任。
1918年 雑誌「中央公論」に『新生』を発表。
1928年 加藤静子と結婚。
1929年 「中央公論」に『夜明け前』を連載。
1935年 「日本ペンクラブ」が発足。初代会長を就任。
朝日文化賞を受賞。
1940年 帝国芸術院会員に選出。
1943年 大磯町の自宅にて脳溢血のため没。
 鎌倉が舞台となる著作
1908年
1913年
北村透谷の短い一生
1936年
伊香保土産