有島 武郎
本 名 有島武郎(ありしま・たけお)
生年月日 1878年(明治11年)3月4日
没年月日 1923年(大正12年)6月9日
親 族 有島 武(ありしま・たけし)【父】実業家
有島生馬(ありしま・いくま)【長弟】画家
里見 弴(さとみ・とん)【次弟】小説家
森 雅之(もり・まさゆき)【長男】俳優
中島 葵(なかじま・あおい)【孫・雅之の長女】女優
来 歴
1878年 東京市小石川にて有島家の長男として生まれる。
1896年 学習院中等科卒業後、農学者を目指し札幌農学校予科5年級に編入学。
1901年 札幌農学校本科を卒業。
1903年 アメリカ・ハヴァフオード大学・ハーバード大学に留学。
1907年 帰国し東北帝国大学農科講師となる。
1909年 神尾安子と結婚。
1910年 弟・生馬を通じて志賀直哉・武者小路実篤らと知り合い同人誌「白樺」を創刊。同誌に『かんかん虫』『お末の死』を発表。
【小説家としてデビュー】
1913年 札幌永住を期して札幌市に新居を建て移住するも、妻・安子の病気により翌年に転居。
1916年 妻・安子が肺結核で病死。
この頃から本格的な作家活動を開始する。
1917年 7月、文芸誌「新小説」に『カインの末裔』を発表。
1918年 「東京日日新聞」「大阪日日新聞」に『生れ出づる悩み』を連載。
1919年 「白樺」に『或る女』(原題・『或る女のグリンプス』)を連載。
その際、後篇の執筆のため円覚寺塔頭松嶺院に滞在。
1922年 創作力に衰えが見えたため絶筆。
北海道狩太村(現・虻田郡ニセコ町)に「有島農場」を開放。
1923年 女性誌「婦人公論」記者・波多野秋子と知り合い恋愛関係に陥るが、秋子の夫・波多野春房に責められ2人で失踪。6月9日、軽井沢にある武郎の別荘「浄月荘」で首吊り心中を図った。梅雨の時期に1ヶ月放置された状態で死体が発見されたため、腐乱がすすんでいた。
 鎌倉が舞台となる著作
1934年
斷橋
1950年
或る女
 鎌倉が舞台となる映画
1954/03/13 或る女 大映東京 原作『或る女』
京マチ子・夏川静江・馬淵なほみ・若尾文子
 鎌倉が舞台となるラジオドラマ・朗読
1948/08/18 ある女 NHK東京
第2
原作『或る女』
1951/07/22 或る女 NHK東京
第2
原作『或る女』
臼井吉見
1952/06/07 或る女 日本文化 原作『或る女』
山田五十鈴・薄田研二・加藤 嘉
1957/03/25 或る女 NHK東京
第2
原作『或る女』
丹阿彌谷津子・大森義夫・成瀬昌彦・加藤和夫
1959/04/05 或る女 ラジオ東京 原作『或る女』
浦川麗子・小沢栄太郎・北村和夫・神山 繁
1974/04/13 或る女 NHK東京
第1
原作『或る女』
三田和代・小池朝雄・綏片達雄