1891年 |
長野県小県郡上田町(現・長野県上田市)にて生まれる。 |
1914年 |
東京帝国大学文学部に在学中、豊島与志雄・山本有三らと第三次「新思潮」を創刊。
戯曲『牛乳屋の兄弟』が東京で上演される。【劇作家としてデビュー】 |
1915年 |
夏目漱石の門人となる。 |
1916年 |
芥川龍之介・菊池寛らと第四次「新思潮」を創刊。
夏目漱石が急死し、親友・松岡譲と漱石の娘・筆子との恋の争いに敗れ、故郷に戻る。 |
1918年 |
再上京し、「時事新報」に『蛍火』を連載。
【小説家としてデビュー】 |
1922年 |
「婦人之友」に『破船』を発表。 |
1923年 |
待合「ゆたか」の元芸妓・奥野艶子と結婚。
鎌倉滞在中に関東大震災に被災。長谷寺へ避難。 |
1925年 |
鎌倉町御成に転居。その後同年鎌倉町大町蔵屋敷に転居。(~1927年) |
1927年 |
鎌倉町雪ノ下に転居。(~1952年) |
1932年 |
鎌倉町議選挙に出馬、トップ当選を果たす。(2期務める) |
1934年 |
作家仲間たちと「鎌倉カーニバル」を企画実施。第1回の「海の謝肉祭」は久米正雄・大佛次郎が発案。(~1962年) |
1936年 |
「鎌倉ペンクラブ」初代会長に就任。発会式は長谷の「南浦園」。 |
1938年 |
「東京日日新聞」の学芸部長に就任。 |
1945年 |
貸本屋「鎌倉文庫」の社長に就任。蔵書を提供。 |
1952年 |
鎌倉市の病院にて脳溢血のため没。 |