澁澤 龍彦
本 名 澁澤龍雄(しぶさわ・たつお)
生年月日 1928年(昭和3年)5月8日
没年月日 1987年(昭和62年)8月5日
別名義 澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ)【小説家・評論家・翻訳家】ペンネーム
澁川龍兒(しぶかわ・たつじ)【小説家・評論家】ペンネーム
蘭京太郎(らん・きょうたろう)【小説家・評論家】ペンネーム
Tasso.S(たっそ・えす)【評論家】ペンネーム
呑珠庵(どんじゅあん)【評論家】ペンネーム
無馨道人(むせい・どうじん)【評論家】ペンネーム
親 族 矢川澄子(やがわ・すみこ)【妻】詩人・作家
澁澤幸子(しぶさわ・さちこ)【長妹】トルコ研究家
澁澤道子(しぶさわ・みちこ)【次妹】詩人・翻訳家
矢野眞(やの・まこと)【義弟・道子の夫】画家
横山虎雄(よこやま・とらお)【伯父】建築家
浦野敬(うらの・けい)【叔父】歌人
来 歴
1928年 東京市芝区車町にて生まれる。
1946年 鎌倉市雪ノ下の伯父宅の離れに転居。
その後、小町の東勝寺橋のたもとに転居。
1952年 鎌倉の学生を中心とした「新人評論」を創刊。
1953年 東京大学文学部仏文科卒業。
1954年 訳書『大跨びらき』を発表。
【翻訳家としてデビュー】
1955年 同人誌「ジャンル」で小説『撲滅の賦』を発表。
【小説家としてデビュー】
1961年 「悪徳の栄え事件」裁判が始まり9年間争う。
わいせつ文書販売・所持の容疑で在宅起訴。有罪判決を受ける。
1966年 鎌倉市山ノ内明月谷戸の新居に転居。(~1987年)
1981年 『唐草物語』で第9回泉鏡花文学賞を受賞。
1984年 『ねむり姫』で第11回川端康成文学賞を受賞。
1986年 医師の誤診により下咽頭ガンの発見が遅れ、声帯を切除。
1987年 東京都港区の病院にて頸動脈瘤破裂のため没。
墓 所 浄智寺
 鎌倉が舞台となる著作
1983年
きらら姫
1983年
ダイタロス
1985年
護法
1985年
髑髏盃