田中 英光
本 名 田中英光(たなか・ひでみつ)
生年月日 1913年(大正2年)1月10日
没年月日 1949年(昭和24年)11月3日
別名義 田中英光(たなか・ひでみつ)【小説家】ペンネーム
※音読み「たなか・えいこう」と呼ばれることもあり
出方名英光(でかたな・ひでみつ)【小説家】ペンネーム
親 族 岩崎鏡川【父】歴史家
田中光二【長男】小説家
来 歴
1913年 東京府東京市赤坂区榎坂町にて生まれる。
幼年期、鎌倉市稲村ガ崎にある母の実家・田中家に入籍。
1932年 早稲田大学在学中にロサンゼルス五輪の漕艇選手として出場。
1935年 早稲田大学政治経済学部卒業。
横浜護謨製造㈱(現・横浜ゴム)に就職、京城出張所に勤務。
同人雑誌「非望」の同人となり、同第5号に寄稿した『空吹く風』が
太宰治の目にとまる。以降、英光は太宰を師事。
1937年 小島喜代と結婚。
1939年 文芸誌「若草」に小説『鍋鶴』を発表。
【小説家としてデビュー】
1940年 勤務が東京に代わり、初めて太宰宅を訪問。
文芸誌「文學界」に『オリンポスの果実』(旧題『杏の実』)を発表。
『オリンポスの果実』が第7回池谷信三郎賞を受賞。
1947年 妻子を残したまま、東京都新宿区で山崎敬子と同棲生活を始める。
1948年 太宰治が自殺。その影響で睡眠薬中毒となる。
1949年 5月、薬物中毒の妄想から敬子を刺し重傷を負わせる。
11月、三鷹市にある太宰治の墓前で自殺。
 鎌倉が舞台となる著作
1940年
オリンポスの果実
【第7回池谷信三郎賞】
1949年
野狐
1949年
さようなら
 鎌倉が舞台となるラジオドラマ・朗読
1953/11/02

1953/11/19
オリンポスの果実 ラジオ東京 原作『オリンポスの果実』
吉田アナ
1954/07/05

1954/07/10
オリンポスの果実 日本文化 原作『オリンポスの果実』
俳優座新人会
1957/09/04 オリンポスの果実 NHK東京
第2
原作『オリンポスの果実』
斎藤 隆・河内桃子