1913年 |
東京府東京市赤坂区榎坂町にて生まれる。 |
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幼年期、鎌倉市稲村ガ崎にある母の実家・田中家に入籍。 |
1932年 |
早稲田大学在学中にロサンゼルス五輪の漕艇選手として出場。 |
1935年 |
早稲田大学政治経済学部卒業。
横浜護謨製造㈱(現・横浜ゴム)に就職、京城出張所に勤務。
同人雑誌「非望」の同人となり、同第5号に寄稿した『空吹く風』が
太宰治の目にとまる。以降、英光は太宰を師事。 |
1937年 |
小島喜代と結婚。 |
1939年 |
文芸誌「若草」に小説『鍋鶴』を発表。
【小説家としてデビュー】 |
1940年 |
勤務が東京に代わり、初めて太宰宅を訪問。
文芸誌「文學界」に『オリンポスの果実』(旧題『杏の実』)を発表。
『オリンポスの果実』が第7回池谷信三郎賞を受賞。 |
1947年 |
妻子を残したまま、東京都新宿区で山崎敬子と同棲生活を始める。 |
1948年 |
太宰治が自殺。その影響で睡眠薬中毒となる。 |
1949年 |
5月、薬物中毒の妄想から敬子を刺し重傷を負わせる。
11月、三鷹市にある太宰治の墓前で自殺。 |