芥川龍之介
本 名 芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)
生年月日 1892年(明治25年)3月1日
没年月日 1927年(昭和2年)7月24日
別名義 澄江堂主人(ちょうこうどう・しゅじん)
我鬼(がき)【俳号】
親 族 塚本 文(つかもと・あや)【妻】
芥川比呂志(あくたがわ・ひろし)【長男】俳優
芥川也寸志(あくたがわ・やすし)【三男】作曲家
来 歴
1892年 東京市京橋区(現・中央区)入船町にて生まれる。
1910年 第一高等学校(現・東京大学教養学部)第一部乙類英文科入学。
1913年 東京帝国大学英文学科入学。
1914年 一高同期の菊池寛、久米正雄らと同人誌第3次「新思潮」を刊行。
1915年 同人誌「帝国文学」にて『羅生門』を発表。
【作家としてデビュー】
1916年 同人誌第4次「新思潮」で『鼻』を発表。
鎌倉市由比ガ浜で下宿(~1917年9月)。
辞任する浅野和三郎の後任で横須賀にある
海軍機関學校嘱託英語教官となる。
1917年 9月、鎌倉から横須賀市汐入へ転居。
1918年 3月、横須賀から大町・小山別邸に転居(~1919年3月)。
4月、海軍機関学校を辞め、「大阪毎日新聞社」に入社。
5月、「大阪毎日新聞」にて『地獄変』を連載発表。
1919年 塚本文と結婚。
3月、鎌倉から北豊島郡滝野川町田端に転居。
1921年 「大阪毎日新聞社」海外視察員として中国に渡航。
その道中のことがらを描いた『上海游記』などを発表。
1922年 雑誌「新潮」にて『藪の中』を発表。
1925年 文化学院(2018年閉校)文学部講師に就任。
1926年 胃潰瘍・神経衰弱・不眠症などの治癒のため湯河原にて療養。
1927年 3月、総合雑誌「改造」にて『河童』を発表。
7月24日、田端の自室で服毒自殺。
10月、雑誌「文藝春秋」で『歯車』を発表。
 鎌倉が舞台となる著作
1917年
西郷隆盛
1917年
軍艦金剛航海記
1917年
田端日記
1919年
舞踏会
1920年
妙な話
1920年
1921年
上海游記
1923年
一塊の土
1923年
大正十二年九月一日の
大震に際して
1923年
あばばばば
1924年
「仮面」の人々
1924年
わが俳諧修業
1925年
身のまはり
1926年
点鬼簿