1903年 |
大分県大分市にて生まれる。 |
1919年 |
第五高等学校(熊本区)卒業。 |
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東京帝国大学(現・東京大学)法科中退。 |
1925年 |
雑誌「マルクス主義」に論文『日和見主義の誕生』を発表。
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1926年 |
雑誌「文芸戦線」に『林檎』を発表。
【プロレタリア文学小説家としてデビュー】 |
1927年 |
『無産者新聞』に掲載された論文の受け止め方で対立がおこり
「日本プロレタリア芸術連盟」が分裂。
林らは「労農芸術家連盟」を発足。 |
1930年 |
日本共産党への資金提供を理由に検挙。
豊多摩刑務所に入所。 |
1932年 |
出所後、鎌倉市大町に転居。(~1934年)
その後、鎌倉市浄明寺に転居。(1935年~1975年) |
1933年 |
川端康成、小林秀雄らと同人誌『文学界』を創刊。 |
1936年 |
プロレタリア文学作家廃業を宣言。
以後、右翼団体「大東塾」の客員となり勤王の心を説く。 |
1948年 |
戦争協力を理由に文筆家として公職追放。 |
1952年 |
妻の繁子が鎌倉の自宅で自殺。 |
1963年 |
雑誌「中央公論」に『大東亜戦争肯定論』を発表。
論壇に再登場する。
また同じ東大法学部出身の三島由紀夫が林を尊敬し
『林房雄論』を発表する。 |
1966年 |
三島由紀夫と対談、『対話・日本人論』を発表。 |
1975年 |
鎌倉市にて胃癌のため病没。 |