1887年 |
青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)にて生まれる。 |
1905年 |
哲学館大学(現・東洋大学)大学部第二科
普通講習科に入学するも、無届欠席で除名。
地元に帰り、浪岡村の地主の娘・平野つると結婚。
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1906年 |
坪内逍遥に学ぶため早稲田大学英文科の聴講生となる。 |
1912年 |
広津和郎らとともに同人誌「奇蹟」を発行。
創刊号に『悲しき父』(葛西歌棄名義)を発表。
【作家としてデビュー】 |
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数作品を発表するも生活は困窮を極め、
住まいの借家を追い出され、妻子を青森へ帰す。 |
1919年 |
弟と鎌倉へ行き、建長寺前の「竜王館」に滞在。 |
1923年 |
肺浸潤の療養のため、鎌倉市山ノ内にある
建長寺の塔頭・宝珠院の庫裏を借りて生活をする。
食事を頼んでいた食堂「招寿軒」の娘
浅見ハナ(おせい)と同棲するようになる。 |
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『おせい』『椎の若葉』など「私小説」を発表するも
酒におぼれ生活は荒れる。 |
1927年 |
10月29日、七里ガ浜にある「鈴木療養所」に入院。
12月30日、退院。 |
1928年 |
最後の小説『忌明』を発表した翌月、
東京都世田谷区三宿にて病没。 |