1904年 |
静岡県小笠郡にて生まれる。 |
1921年 |
山脇高等女学校家事専攻科卒業。
与謝野晶子を師事。 |
1924年 |
川上十郎と結婚。
朝鮮半島に居住。(~1931年) |
1927年 |
大阪朝日新聞の懸賞短編小説に応募、『或る醜き美顔術師』が入選し商業誌に掲載。
【小説家としてデビュー】 |
1931年 |
鎌倉市浄明寺詫間ヶ谷に転居。(~1985年) |
1936年 |
『滅亡の門』で第11回文學界賞を受賞。
『滅亡の門』『歳月』が第4回芥川賞候補作となる。 |
1937年 |
『光仄かなり』『白露記』『郷愁』第5回芥川賞候補昨となる。
『光仄かなり』を発表するも、戦争嫌悪の表現で発刊中止。
夏、鎌倉市立御成小学校で行われた鎌倉ペンクラブの夏期大学を聴講。
第2回池谷信三郎賞の候補となる。 |
1940年 |
『白銀の川』が第3回新潮社文芸賞の候補作となる。 |
1946年 |
『菊月日記』が第1回女流文学賞の候補作となる。 |
1948年 |
『サタンの族』が第3回女流文学賞の候補作となる。 |
1985年 |
鎌倉市にて没。 |