村松 梢風
本 名 村松義一(むらまつ・ぎいち)
生年月日 1889年(明治22年)9月21日
没年月日 1961年(昭和36年)2月13日
別名義 村松梢風(むらまつ・しょうふう)【小説家】ペンネーム
親 族 村松 喬(むらまつ・たかし)【三男】作家・教育評論家
村松 暎(むらまつ・えい)【四男】作家・中国文学者
村松友視(むらまつ・ともみ)【孫・長男/友吾の長男】作家
 ※戸籍では養子となり五男
来 歴
1889年 静岡県周智郡飯田村(現・周智郡森町)にて生まれる。
1907年 慶応義塾大学理財科に入学するが、父の死後に中退し帰郷、地元の森小学校・周智農林学校の教師となる。
再び上京し慶応義塾大学文学科に入学するも中退。
1911年 桑原そうと結婚。
1917年 雑誌「中央公論」にて『琴姫物語』を掲載。
【小説家としてデビュー】
この頃から度々中国を訪問。中国通となる。
1924年 「小西書店」より上海を舞台にした『魔都』を刊行。
1926年 出版社「騒人社」を創業。雑誌「騒人」を出版。
1933年 雑誌「婦人公論」にて川島芳子の生涯を描いた『男装の麗人』を掲載。
1950年頃 そうと別居し、愛人の北川絹江と鎌倉西御門で同棲。
1960年 体調を崩し鎌倉・佐藤病院に入院。
1961年 東京都文京区の病院にて肺カンシダ症の悪化のため没。
墓 所 覚園寺
 鎌倉が舞台となる著作
1958年
猫料理