1867年 |
江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区)にて夏目家の五男として生まれる。 |
1868年 |
塩原家の養子になるが、養父母の離婚により9歳で生家に戻される。ただ実父と養父の対立により21歳まで夏目家への復籍が遅れる。 |
1884年 |
大学予備門予科(現・東京大学教養学部)に入学。 |
1889年 |
正岡子規に会い、俳句を学ぶ。 |
1890年 |
帝国大学(現・東京大学)英文科に入学。
この頃から神経衰弱に陥るようになる。 |
1893年 |
帝国大学卒業。高等師範学校の英語教師に就任。 |
1894年 |
12月末、極度の神経衰弱・強迫観念にかられるようになったため、菅虎雄のすすめで円覚寺の釈宗演のもとで参禅。 |
1895年 |
愛媛県尋常中学校(現・県立松山東高等学校)の英語教師に赴任。 |
1896年 |
熊本市の第五高等学校の英語教師に赴任。
中根鏡子と結婚。 |
1897年 |
8月、妻・鏡子の流産後の保養のため、鎌倉町材木座に滞在。 |
1898年 |
寺田寅彦らと俳句結社「紫溟吟社」を結成。 |
1900年 |
英語教育法研究のため、文部省より英国留学を命じられる。 |
1903年 |
英国留学から帰国。文京区本郷駒込に転居。 |
1905年 |
1月、俳句雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を発表。
【小説家としてデビュー】 |
1906年 |
4月、「ホトトギス」の附録に『坊っちゃん』を発表。
雑誌「新小説」に『草枕』を発表。
本郷の夏目宅に出入りしていた小宮豊隆・鈴木三重吉・森田草平など書生たちが毎週木曜日に集まり語り合うようになり、やがて「木曜会」と呼ばれるようになる。 |
1907年 |
朝日新聞社に入社。職業作家となる。
「朝日新聞」に『虞美人草』を連載。 |
1908年 |
「朝日新聞」に『三四郎』を連載。 |
1909年 |
「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に『それから』を連載。 |
1910年 |
「朝日新聞」に『門』を連載。その執筆途中に胃潰瘍で入院。
その後、静岡・修善寺温泉で静養するも大吐血し危篤状態に陥る(修善寺の大患)。 |
1912年 |
「朝日新聞」に『彼岸過迄』『行人』を連載。
6月29日~7月1日、鎌倉・江ノ島へ遊びに行く。
7月21日、避暑のため、鎌倉町材木座の田山別荘に滞在。
9月11日、中村是公と東慶寺の釈宗演を訪ねる。 |
1913年 |
ひどいノイローゼにかかり、胃潰瘍も再発。 |
1914年 |
「朝日新聞」に『こゝろ(原題・『心 先生の遺書』)』を連載。 |
1915年 |
東京市牛込区早稲田南町の自宅にて腹腔内出血のため没。 |
1984年 |
11月、新千円札に肖像が採用される。 |