高見  順
本 名 高間義雄(たかま・よしお)【0歳~14歳頃?】
→高間芳雄(たかま・よしお)【14歳頃?~】
生年月日 1907年(明治40年)1月30日
没年月日 1965年(昭和40年)2月17日
別名義 高見 順(たかみ・じゅん)【小説家】ペンネーム
親 族 阪本釤之助(さかもと・さんのすけ)【父】福井県知事・政治家
高見恭子(たかみ・きょうこ)【養女・長女】タレント・エッセイスト
馳 浩(はせ・ひろし)【娘婿・恭子の夫】石川県知事・元衆議
永井荷風(ながい・かふう)【従兄】小説家
野村萬斎(のむら・まんさい)【義兄の孫】狂言師
来 歴
1907年 福井県坂井郡三国町にて阪本家の非摘出子として生まれる。
母は釤之助の夜伽を務めた女性。
1908年 父に一度も会うことなく母と上京するが、壮絶ないじめに遭う。
1927年 東京帝国大学文学部英文学科に入学。
同人雑誌「文芸交錯」の創刊に参加。
1928年 学内の左翼芸術同盟に参加。
その機関紙「左翼芸術」に『秋から秋まで』を発表。
1930年 東京帝国大学文学部英文学科を卒業。
「日本プロレタリア作家同盟」に参加。
大学時代に知り合った劇団「制作座」の劇団員・石田愛子と結婚。
1933年 労働運動に参加し、治安維持法違反の容疑で大森署に検挙される。
その影響で妻・愛子が他の男性と失踪、離婚する。
1935年 水谷秋子と結婚。
雑誌「日暦」で『故旧忘れ得べき』を発表し、第1回芥川賞候補となる。
【小説家としてデビュー】
1939年 文芸誌「文芸」に『如何なる星の下』を発表。
1941年 陸軍報道班員として徴用され、ビルマに派遣。
1943年 鎌倉市山ノ内に転居。(~1965年)
1948年 鎌倉アカデミアで講師となり、週1回開講する。
1950年 雑誌「婦人公論」に『胸から胸に』を発表。
1959年 『昭和文学盛衰史』で第13回毎日出版文化賞を受賞。
1962年 目黒区駒場に「日本近代文学館」設立に尽力。
1963年 『いやな感じ』で第10回新潮社文化賞を受賞。
1964年 『死の淵より』で第17回野間文芸賞を受賞。
1965年 千葉市の病院にて食道ガンのため没。
文化功労者に選出。(没後追贈)
 鎌倉が舞台となる著作
1947年
假面
1949年
自分について
1951年
胸より胸に
1951年
呟く幽鬼
1959年
聞える歌聲
1959年
三面鏡
1961年
ハナイカダ
1961年
ちょっと一服 背広
 鎌倉が舞台となる映画
1955/12/06 胸より胸に 松竹 原作『胸より胸に』
有馬稲子・大木 実・冨田浩太郎・下元 勉