大佛 次郎
本 名 野尻清彦(のじり・きよひこ)
生年月日 1897年(明治30年)10月9日
没年月日 1973年(昭和48年)4月30日
別名義 大佛次郎(おさらぎ・じろう)【小説家】ペンネーム
由比浜人(ゆい・はまと)【小説家】ペンネーム
阪下五郎(さかした・ごろう)【小説家】ペンネーム
安里礼次郎(あんり・れいじろう)【小説家】ペンネーム
流山龍太郎(ながれやま・りゅうたろう)【小説家】ペンネーム
八木春泥(やぎ・しゅんでい)【小説家】ペンネーム
白馬亭去来(はくばてい・きょらい)【小説家】ペンネーム
須田紋太郎(すだ・もんたろう)【小説家】ペンネーム
浪子燕青(なみこ・えんせい)【小説家】ペンネーム
元野黙阿弥(もとの・もくあみ)【小説家】ペンネーム
瓢亭白馬(ひょうてい・はくば)【小説家】ペンネーム
清本北洲(きよもと・ほくしゅう)【小説家】ペンネーム
田村宏(たむら・ひろし)【小説家】ペンネーム
三並喜太郎(みなみ・きたろう)【小説家】ペンネーム
吉岡大策(よしおか・だいさく)【小説家】ペンネーム
赤松繁俊(あかまつ・しげとし)【小説家】ペンネーム
浄明寺三郎(じょうみょうじ・さぶろう)【小説家】ペンネーム など多数
親 族 野尻正英(のじり・まさふさ)【長兄】民俗学者
来 歴
1897年 横浜市英町にて生まれる。
1916年 一高の寮生活をまとめた小説『一高ロマンス』を発表。
【小説家としてデビュー】
1919年 3月、円覚寺塔頭に籠る有島武郎と汽車に乗り合わせ鎌倉へ行く。
1921年 東京帝国大学法科大学政治学科卒業。
原田登里と結婚。
鎌倉市長谷に転居。(~1922年)
1922年 鎌倉市大町に転居。(~1929年)
1923年 大町の自邸で関東大震災を被災。
1924年 初めて「大佛次郎」名義で小説『隼の源次』を発表。
『鞍馬天狗』シリーズが人気作品となる。
1927年 「東京日日新聞」に『赤穂浪士』を連載。
1929年 鎌倉市雪ノ下に転居。(~1945年)
1942年 大政翼賛会の支部として「鎌倉文化聯盟」を結成。文学部長に就任。
1945年 「鎌倉文庫」が開店。自らの蔵書を提供。
鎌倉市長谷に転居。(~1949年)
1946年 雑誌「学生」の主筆となり、随筆『鎌倉通信』を連載。
1950年 『帰郷』が日本芸術院賞小説戯曲部門を受賞。
1960年 日本芸術院会員となる。
1961年 第10回神奈川文化賞文学部門を受賞。
1964年 『パリ燃ゆ』で朝日賞文学部門を受賞。
鎌倉・鶴岡八幡宮裏山「御谷」の景観保持運動に参加。
1967年 大佛次郎の古希、里見弴の傘寿を祝う野球の試合が御成小学校校庭で行われ、川端康成が応援する。
1969年 『三姉妹』などの創作活動に対して第17回菊池寛賞を受賞。
1973年 東京・国立がんセンターにて転移性肝臓癌のため没。
墓 所 壽福寺
 鎌倉が舞台となる著作
1943年
源実朝
1948年
帰郷
【日本芸術院賞小説戯曲部門受賞】
1949年
鎌倉通信
-若い人達に-
1959年
今は昔の話
1959年
梅日和
1960年
朝比奈の道
1960年
樹木の言葉
1960年
山内雑感
1961年
富士を見る人
1962年
老人園
1964年
山の影
1965年
破壊させる自然
1966年
義経の周囲 廃園
1966年
義経の周囲 頼朝
1966年
義経の周囲
土佐房昌俊
1966年
梅のたより
1966年
私の秘密
1966年
鎌倉の一日
1967年
屋上庭園
1967年
ひぐらし
1967年
積雪
1968年
豆腐屋の弁護
1969年
銭洗弁天
1969年
人ひとり
1970年
水の音
1970年
二人静
1970年
梅の右大臣
未刊
タヌキ
未刊
遠山ザクラ
未刊
花と人と
未刊
鎌倉びと
未刊
旅の案内
 鎌倉が舞台となる映画
1950/11/25 帰郷 松竹大船 原作『帰郷』
佐分利信・京マチ子・森 雅之・徳大寺伸
1953/07/29 旅路 松竹大船 原作『旅路』
笠 智衆・岸 恵子・佐田啓二・若原雅夫
 鎌倉が舞台となるラジオドラマ・朗読
1949/08/15

1949/08/27
帰郷 NHK東京
第2
原作『帰郷』
樫村治子
1950/05/29

1950/06/30
帰郷 NHK東京
第2
原作『帰郷』
山村 聰
1951/02/10 歸郷 日本文化 原作『帰郷』
島田正吾・石山健二郎・外崎恵美子・辰巳柳太郎
1953/01/05

1953/02/27
帰郷 日本文化 原作『帰郷』
金子信雄
1977/10/07 帰郷 ニッポン
放送
原作『帰郷』
宇野重吉