広津 和郎
本 名 広津和郎(ひろつ・かずお)
生年月日 1891年(明治24年)12月5日
没年月日 1968年(昭和43年)9月21日
別名義 広津和郎(ひろつ・かずお)【小説家・翻訳家】
親 族 広津柳浪(ひろつ・りゅうろう)【父】小説家
広津桃子(ひろつ・ももこ)【長女】小説家・随筆家
来 歴
1891年 東京市牛込区矢来町にて生まれる。
1913年 早稲田大学英文科卒業。
1914年 補充兵教育召集されるも結核で入院する。
その後、毎夕新聞社社会部に入社。
1916年 文芸評論家として活動を始める。
11月、神山ふくと結婚。
12月、鎌倉市坂ノ下に転居。(~1917年)
1917年 雑誌「中央公論」に『神経病時代』を発表。
【小説家としてデビュー】

7月、別願寺(鎌倉市大町)に下宿。まもなく東京へ転居。
12月、両親が暮らす安養院(鎌倉市大町)に行き越年する。
1918年 5月、鎌倉市山ノ内に転居する。しかし滞在は月に3~4日。
1919年 雑誌「中央公論」に『死児を抱いて』を発表。
神山ふくや子どもたちと別居。
年内に巨福呂坂、小町、大町と転居。、
1926年 東京・大森馬込に転居。松沢はまと結婚。
1937年 雑誌「中央公論」で『心臓の問題』を発表。
1953年 雑誌「中央公論」に松川事件被告の無罪を訴える『真実を阻むもの』を発表。
『年月のあしあと』が第16回野間文芸賞・第17回毎日出版文化賞を受賞。
1968年 熱海市の病院にて腎不全に肺炎を併発し没。
 鎌倉が舞台となる著作
1917年
1918年
線路
1918年
静かな春
1918年
鎌倉日記
1919年
小さな残虐
1919年
波の上
1919年
お光
1921年
神風連
1924年
生き残れる者
1933年
過去
1934年
訓練されたる人情
1954年
泉へのみち
 鎌倉が舞台となる映画
1949/09/13 晩春 松竹大船 原作『父と娘』
宇野重吉・京マチ子・森 雅之・島崎 溌
1955/03/08 泉へのみち 東宝 原作『坊ちゃん社員 前篇』
有馬稲子・高峰三枝子・根上 淳・藤木 悠