黒岩 涙香
本 名 黒岩周六(くろいわ・しゅうろく)
生年月日 1862年(文久2年)11月20日
没年月日 1920年(大正9年)10月6日
別名義 黒岩周六(くろいわ・しゅうろく)
黒岩涙香(くろいわ・るいこう)【探偵小説・翻訳小説家】ペンネーム
涙香小史(るいこう・しょうし)【探偵小説・裁判小説家】ペンネーム
黒岩小史(くろいわ・しょうし)ペンネーム
黒岩大(くわいわ・だい)【新聞投稿】ペンネーム など
来 歴
1862年 土佐国安芸郡川北村にて生まれる。
大阪・中之島専門学校(後の大阪英語学校)入学。
その後上京し慶應義塾・成立学舎に入学するもいずれも中退。
1882年 自由民権運動に積極的に参加。
「東京興論新誌」で北海道開拓庁長官・黒田清隆を攻撃、
官吏侮辱罪で起訴される。
「同盟改新新聞」を創刊、主筆となる。
1885年 「日本たいむす」の主筆となる。
1886年 「絵入自由新聞」の主筆となる。
ノルマントン号の裁判で翻訳の誤認によって
正当な判決が得られなかったことを指摘する。
1888年 ヒュー・コンウェイ『暗い日々』を『法廷の美人』という題で翻訳。
【翻訳家としてデビュー】
1889年 小説館の「小説叢」で探偵小説『無惨』を発表。
【日本初の創作探偵小説を発表】
1892年 朝報社を設立。『萬朝報(よろづちょうほう)』を創刊。
1893年 『萬朝報』で『白髪鬼』の翻訳を発表。
1899年 『萬朝報』で『幽麗塔』の翻訳を発表。
1900年 鎌倉市長谷に転居。(~1917年)
1904年 「東京かるた会」を創設。常盤木倶楽部で第1回競技会を開催。
1911年 朝報社で婦人雑誌「淑女かゝ゛み」を創刊。
婦人問題に提言。
1915年 御大典(即位の礼)に際し、
新聞事業の功労により勲三等瑞宝章を受章。
1920年 文京区本郷で肺癌にて病没。
 鎌倉が舞台となる著作
なし